バラの日本史
 
第4章 江戸時代

第4章 江戸時代

江戸時代になると「日本最古の洋バラ」という記録が残っています。
宮城県松島町にある円通院(えんつういん)というお寺にあります。
描かれたバラは伊達政宗の家臣で慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡航した支倉常長さんが持ち帰ったものと言われています。
洋バラには見えないという意見もあり、真相は謎に包まれています。
でもこの時代になってやっと日本のバラの歴史に「中国」以外の「西欧」という言葉が出てくるようになったのではないでしょうか。

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(上の2枚写真は円通院にあるバラの説明を撮影したもの)
 
とは言え、やはり書物や絵画では圧倒的に日本と中国のバラが多く記されています。
ハマナス、長春(コウシンバラ)、白長春(白花のコウシンバラ)、ナニワイバラ、イザヨイバラ、サンショウバラなどです。
しかし江戸時代にはまだ名前が一定していなく、書かれている花の特徴から現代の名前を推測したり、研究者も”これは何だろう?”と悩む記述もあるそうです。
絵画も、どう見てもバラのことを知らない人が別の人の絵を写したのではないかと思われる、辻褄の合わない絵もあるそうです。
江戸時代は、園芸は盛んでした。ツバキやボタンやツツジなどの他に、変化アサガオなど変わりものを見つけて楽しむ風潮もありました。
でもバラは、書物や絵画にこれだけ出てくるのですから決して一般に知られていなかったわけはないとは思いますが、江戸の園芸植物ランキングではだいぶ下のほうだったかもしれません。
 
ヨーロッパでは、フランス皇帝ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌがバラの育種に夢中になってバラをどんどん増やしたのは1700年代です。
ヨーロッパのバラ栽培だって1600年代にはバラは薬用目的が多かったのですから、日本は遅れてる?なんてそんなにがっかりすることはないと思います。
 
日本は江戸時代には鎖国をしていましたが、東インド会社などを経由して長崎などから外国人が入国しています。
その中に”プラントハンター”と呼ばれる人々がいました。日本や中国の、ヨーロッパにとっては珍しい植物を持ち帰った人々です。長崎出島のオランダ商館医でドイツ人医師のケンペル、植物学者でスウェーデン生まれの医師ツンベリー、そしてシーボルトも、たくさんの植物をヨーロッパにもたらしました。
その植物の中にはもちろんバラも含まれています。中国からは中国原産のバラを、日本からは日本原産の野バラやハマナスなどを持ち帰りました。そしてこの後ヨーロッパのバラと掛け合わせて、世界中で新しい品種のバラがどんどん作出されて行くことになります。
日本の野バラは房咲きの性質を持っています。ヨーロッパのバラにこの房咲き性を合わせて品種改良して「ポリアンサ ローズ」や「フロリバンダ ローズ」が作られたのだそうですよ。

 

≪参考≫
「東京国立博物館情報アーカイブ博物図譜」で検索すると東京国立博物館所蔵博物図譜データベースを見ることができます。
「種類から探す」に「バラ」のカテゴリがありますのでクリックして下さい。
江戸時代から明治時代にかけてのバラの絵画が一覧表示されます。
『本草図譜』は1828年(江戸時代後期)刊行の植物図鑑です。江戸時代のバラの絵をご鑑賞下さい。

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