バラの日本史
 
第6章 昭和時代

第6章 昭和時代

昭和に入ると、益々海外からバラが輸入されるようになり、多彩な新品種のバラを目にした日本人の間で、バラ園芸への熱が帯びて行きました。
 
『バラエン』という、昭和初期の植物の通信販売目録を古本で見つけました。
そこで、この目録を元に昭和初期のバラ事情を目録に沿って昭和6年、昭和8年、昭和15年と年代ごとに掲載します。

まずは、目録『バラエン』について紹介しておきます。

『バラエン』は園芸植物(含む野菜)の目録で、躑躅、石楠花、菊、ダリア、カーネーション、ゼラニウムなど掲載植物は多岐にわたっていまが、中でもバラはかなりのページをさいて紹介されています。
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植物の輸入販売及び目録発行は「株式會社バラ園植物場」さん、現在の「有限会社バラ園植物場」さんです。(http://www.baraen-rosegarden.co.jp/)
会社概要を拝見いたしますと、明治時代から花き園芸の生産に取り組み、大正10年代にバラ園植物場を設立、昭和初期に”植物目録を作成し、全国に向けて植物各品目の通信販売を始める。”とあります。私が入手したのはこの一部、昭和6年、8年、15年の植物目録です。
第一次世界大戦が終わったのが大正7年(1918年)、第二次世界大戦が始まったのが昭和14年(1939年)。目録の時代はこんな世の中でしたが、バラは販売されていました。

この目録をサイトに掲載するにあたり、現在のバラ園植物場さん宛てに問合せをしたところ、快く掲載許可を頂きました。
その際に伺ったところでは、昭和初期頃の二代目の社長様は
「贅沢をせず、国民が一丸となって戦うときだが、心まで貧しくすることは世界をリードする国民らしくない。・・・益々優秀品の生産に新種の作出に無報酬の努力こそ、今日われわれに課せられた使命であり、それを次代の日本国民へ譲り渡すべき重要な責務がある」
と書き残しておられるそうです。
このような方々が、バラを、園芸を、今に繋いで下さったのだと思います。譲り渡されたのは私たちであり、そして私たちにも次代へ繋いで行く責務があるのだと思います。

そのようなことにも思いを馳せながら・・・・・・
昭和初期にはどんなバラが販売されていたのか、どのように宣伝されていたのか、第7章~第9章で目録の中身をご覧下さい。

 

さて、このページでは昭和15年より後の戦後に話しを進めましょう。
 
終戦から3年後の1948年、第1回日本バラ展が開催されました。この頃のバラ展は主にガーデンローズをカットして飾ってお披露目する祭典です。園芸文化も戦後復興です。
 
海外からの輸入が進む一方で、1972年には鈴木省三氏の作出した日本のバラがAARS(アメリカバラ協会の選定賞)を受賞し、日本から世界へ向かってもバラは発展していきました。
 
バラは、お店や企業のシンボルマークに採用されるなど、ワンランク上のお花の地位を保ちつつ、園芸がガーデニングと呼ばれるようになる頃には一般家庭のお庭にも広く浸透して行きました。
 
切り花としても、菊、カーネーション、バラは、三大切り花として大きな市場を形成しています。

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