バラの世界史
 
第3章 中世

第3章 中世

ヨーロッパでは、11世紀に始まった十字軍の遠征や、16世紀の大航海時代の到来により、アジアやパレスチナなどから数多くの野生種のバラが持ち込まれ、バラ界に大きな変化が訪れました。
ヨーロッパより東のイラン、中国、日本の辺りはヨーロッパには無い種類の野生種のバラの原産地です。
東洋のバラと西洋のバラを交配して品種改良が盛んに行われ、現在オールド・ローズと呼ばれる品種が次々と作り出されていきました。
 
人間とバラとのかかわりも密接さを増し、キリスト教では、白いバラは百合とともに聖母マリアを象徴するものとされました。聖母マリアへの祈りの際に使う”ロザリオ”の名もバラ(外国語でバラは主にrose、rosaといわれる)に由来するといわれています。
教会や修道院の中庭などでは薬草として利用するためにバラが栽培されました。殺菌作用があるということでローズウォーターを消毒液に利用していたそうです。
 
また、イギリスで1455年から30年続いたランカスター家とヨーク家の戦争は両家がバラを紋章としていたためにバラ戦争と呼ばれました。この戦争はとても複雑な系図が絡んでくるために一口では説明しきれませんが、早い話有力家系同士の”権力闘争”です。
この戦争の後、長年の争いの終結を表して赤(ランカスター家)と白(ヨーク家)のバラを組み合わせたチューダーローズを紋章としたチューダー朝が始まります。エリザベス1世の時代です。
このバラはイングランドの国花として現代まで引き継がれています。
 
バラの栽培技術も発達し、19世紀には新品種が続々と作り出されました。このバラの育種の歴史に大きく貢献したのがフランス皇帝ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌであったと言われています。
植物好きの彼女は、パリ郊外のマルメゾン宮殿に数多くの植物学者や園芸家を集め、バラの研究を援助しました。”バラのパトロン(経済的に援助する人・後援者)”と呼ばれる所以です。そしてその援助を受けた中の一人、ポタニカルアートの天才画家ルドゥーテが描いたバラは、現代の私たちも書籍などで気軽に目にすることができます。
ジョセフィーヌの生没は1763年-1814年。1791年のフランスのカタログには25品種しかなかったバラが、38年後の1829年には4,000種を超えていたといわれることからもジョセフィーヌのバラに対する熱意が窺われます。
 
こうした品種改良の結果、それまでの一季咲きよりも長く花を楽しめる四季咲き大輪種のバラが誕生しました。
その第1号のバラは「ラ・フランス」、作出は1867年です。
現代では一般的に「ラ・フランス」より以前のバラを”オールド・ローズ”以後のバラを”モダン・ローズ(現代バラ)”と呼びます。
 
こうして、今日のバラの基礎は築かれていきました。

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