バラの日本史

日本は、ノイバラやハマナスなどの原種バラが自生している国です。
バラの育種をしたのは主にヨーロッパですが、その育種の元になったバラは地球の北半球、しかもヨーロッパや北米よりも、特にアジア(中東~中国~日本)に多く見られました。
バラの原産地のひとつである日本におけるバラの歴史を紐解いて行きましょう。

第1章 奈良時代

日本では「常陸風土記」や「万葉集」に「うばら」「うまら」として記されているのが最も古い記録です。西暦700年代の文献です。
それ以前にも野バラは咲いていたのだと思いますが残念ながら証明する文献がありません。

「常陸風土記」は、常陸(現在の茨城県)の国守、藤原宇合によって編纂されたという説が有力のようです。
風土記とは、その土地の風土・風俗・産物・伝説などを記した本です。
その中にバラは「うばら」として登場します。
常陸の特徴として記録されるくらいの量と認知度だったと考えられます。
現代でも茨城県の県の花はバラです。

「万葉集」は歌集です。「茨(うばら)」が読まれている歌はいくつかあるようです。
その中のひとつを紹介してみましょう。

道の辺の茨(うばら)のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ

万葉集 丈部鳥

作者は丈部鳥(はせつかべのとり)さんです。
茨うばら(=バラ)に巻きつく豆のように絡みつく君(奥さん?彼女?家族?)を置いて行かなければ・・・・・・
どうやら防人の単身赴任の旅立ちの歌のようです。
バラは野バラの類です。
野バラのブッシュに豆の蔓が絡みついたら、枝はたくさんあるし棘だらけだし、解くのはさぞや困難なことでしょう。
それほどに「からまる君」だったのでしょうか。

ともあれ、今から千何百年も前に、常陸の国にバラが咲いていたし、歌に詠まれるほどにもバラは身近にあったということになるのでしょう。

第2章 平安時代

平安時代から現代に至るまでの大ベストセラー小説「源氏物語」にバラがでてきます。

階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ。

源氏物語 賢木巻

”春秋の花盛りよりも”というところから、繰り返し咲く四季咲きのコウシンバラではないかと言われています。
お屋敷のバラですから第1章奈良時代で紹介した道端の野バラとは違って、中国から渡来したバラを『栽培』していたということになります。

大ベストセラーエッセイ「枕草子」にもバラはでてきます。
ただ、枕草子には様々なバーションがあり、”薔薇(さうび)”とでてくるのは「能因本 70段 草の花は」に限られるようです。
草の花はなでしこ、に始まり、夕顔、葦、萩などと並んで語られています。

薔薇(さうび)は、近くて、枝の様などはむつかしけれど、をかし。

枕草子 能因本 70段 草の花は

枝がごちゃごちゃして鬱陶しい・・・それもまぁ趣きがあるでしょう。と・・・

有名な歌集の「古今和歌集」で紀貫之さんは

我はけさ うひにぞ見つる 花の色を あだなるものと 言ふべかりけり

古今和歌集 紀貫之

と詠んでいるそうです。
けさ(今朝)の”さ”と、うひ(初)の”うひ”を足して”さうひ(薔薇)”が込められているとか。
遊び心もあります。

第3章 鎌倉時代

鎌倉時代になると、最古のバラの絵と言われるものが残っています。
「春日権現験記」です。
春日大社の霊験を描く20巻の絵巻物で、貴族の風俗などが描かれています。
狩衣や十二単の人々が集うお屋敷には広いお庭があります。
いわゆる前栽というのでしょうか、縁側から眺められるお庭です。
そのお庭の片隅の緑色に盛り上がったところに赤い花のブッシュが描かれています。
コウシンバラだそうです。
研究者は細かいところまで良く見るものです。
お庭に咲いたバラを描いているなら、最古のバラガーデニングの証拠絵ということになるでしょうか。

第4章 江戸時代

江戸時代には「日本最古の洋バラ」という絵が残っています。
宮城県松島町にある円通院(えんつういん)というお寺にあります。
伊達政宗の家臣で慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡航した支倉常長さんが持ち帰ったと言われています。
洋バラには見えないという意見もありますが、真相は謎に包まれています。
この時代になってやっと日本のバラの歴史に「中国」以外の「西欧」という言葉が出てくるようになったのではないでしょうか。

とは言え、やはり書物や絵画では圧倒的に日本と中国のバラが多く記されています。
ハマナス、長春(コウシンバラ)、白長春(白花のコウシンバラ)、ナニワイバラ、イザヨイバラ、サンショウバラなどです。
しかし江戸時代にはまだ名前が一定していなく、書かれている花の特徴から現代の名前を推測したり、研究者も”これは何だろう?”と悩む記述もあるそうです。
絵画も、どう見てもバラのことを知らない人が別の人の絵を写したのではないかと思われる、辻褄の合わない絵もあるそうです。

江戸時代は、園芸が盛んでした。
ツバキやボタンやツツジなどの他に、変化アサガオなど変わりものを見つけて楽しむ風潮もありました。
バラは、書物や絵画にこれだけ出てくるのですから決して一般に知られていなかったわけはないとは思いますが、江戸の園芸植物ランキングではだいぶ下のほうだったかもしれません。

でも、フランス皇帝ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌがバラの育種に夢中になってバラをどんどん増やしたのは1700年代です。
ヨーロッパだって1600年代にはバラは薬用目的の栽培が多かったのですから、日本の園芸は遅れてる?なんてそんなにがっかりすることはないと思います。

日本は江戸時代には鎖国をしていましたが、東インド会社などを経由して長崎などから外国人が入国しています。
その中に”プラントハンター”と呼ばれる人々がいました。
日本や中国からヨーロッパにとっては珍しい植物を持ち帰った人々です。
長崎出島のオランダ商館医でドイツ人医師のケンペル、植物学者でスウェーデン生まれの医師ツンベリー、そして医師であり植物学者でもあるシーボルトも、たくさんの植物をヨーロッパにもたらしました。
その植物中にはもちろんバラも含まれています。
中国からは中国原産のバラを、日本からは日本原産のハマナスなどのバラを持ち帰りました。
そしてこの後ヨーロッパのバラと掛け合わせて、世界中で新しい品種のバラがどんどん作出されて行くことになります。

≪参考≫
「東京国立博物館情報アーカイブ博物図譜」で検索すると東京国立博物館所蔵博物図譜データベースを見ることができます。
ページ下部の「博物図譜データベース分類別検索ページへ」をクリックして下さい。
「種類から探す」に「バラ」のカテゴリがありますのでクリックして下さい。
江戸時代から明治時代にかけてのバラの絵画が一覧表示されます。
『本草図譜』は1828年(江戸時代後期)刊行の植物図鑑です。江戸時代のバラの絵をご鑑賞下さい。

第5章 明治時代

明治時代には、文明開化で西洋文明の流入と相まって西洋のバラが輸入されるようになりました。

明治元年は1868年。フランスでハイブリッド・ティーの第一号「ラ・フランス」が作出されたのは1867年。
ちょうど西洋でモダンローズの時代が始まる時期と一致しています。

明治8年には早速バラの番付表が作られます。
相撲の番付と同じで、バラの横綱やバラの大関が選出されたわけです。
明治21年には90種程度、明治23年には178種超が収録されたそうなので、バラ栽培もだんだん活況を呈してきたようです。

バラの栽培書もいくつか出版されています。

その中で、明治26年に出版された『最新薔薇栽培法』の前書きには

薔薇は其気品に於て、其価格に於て、其芳香に於て、或は其美、其栽培の容易なるに於て、あらゆる階級の士女に最も適せるを疑はず

薔薇は巳でに斯くの如く世界至る所の人々に愛せられ、将来益其愛顧を増進せむとせり

『最新薔薇栽培法』

と書かれています。
この力の入り様は、もう現代のバラ栽培者と変わるところはありません。
本の内容も、この時代ですから写真こそ無いものの、概論、種類、樹形、土壌、肥料、植付法、剪定、接木と多岐に渡っています。

≪参考≫
『最新薔薇栽培法』は、国立国会図書館 近代デジタルライブラリーで閲覧することができます。

第6章 昭和時代

昭和に入ると、益々海外からバラが輸入されるようになり、多彩な新品種のバラを目にした日本人の間で、バラ園芸への熱が帯びて行きました。

終戦から3年後の1948年、第1回日本バラ展が開催されました。この頃のバラ展は主にガーデンローズをカットして飾ってお披露目する祭典です。園芸文化も戦後復興です。
海外からの輸入が進む一方で、1972年には鈴木省三氏の作出した日本のバラがAARS(アメリカバラ協会の選定賞)を受賞し、日本から世界へ向かってもバラは発展していきました。

バラは、お店や企業のシンボルマークに採用されるなど、ワンランク上のお花の地位を保ちつつ、園芸がガーデニングと呼ばれるようになる頃には一般家庭のお庭にも広く浸透して行きました。

切り花としても、菊、カーネーション、バラは、三大切り花として大きな市場を形成しています。

第7章 現代

日本のバイオテクノロジーはバラの研究開発等に大きく貢献しています。
バラには青い色を出すために多くの植物が利用しているデルフィニジンという色素が無く、見た目で青色系のバラはいくつか作出されてきましたが、青色色素に由来する青いバラは存在しませんでした。
サントリーはオーストラリアのフロリジン社と共に『青いバラ』を作る研究を進め、2009(平成21)年には科学的な青バラ「アプローズ」の市販が始まりました。

毎年、各国の育種家やナーセリーにより多くのバラの新品種が発表されています。もちろん日本でも新品種コンクールが開催されて新しいバラが販売され、栽培されています。

バラの歴史は、この先も、何処までも何処までも、世界にそして日本にバラがある限り続きます。