バラの世界史

文化の陰に必ずバラあり。

バラと人間の関わりからみた世界の歴史を紹介します。

第1章 誕生

バラがこの地球上にはじめて姿を現したのは、約7,000万年前~約3,500万年前であると言われています。
7,000万年前は白亜紀、恐竜の時代です。(白亜紀:1億4400万年~6500万年前)
3,500万年前は新生代第三紀、哺乳類登場の時代です。(新生代第三紀:6500万年~160万年前)
人類の祖先である猿人の誕生は約500万年前と言われています。
地球においては人間よりバラのほうが桁違いに先輩です。

最初のバラはノバラの先祖であると考えられています。
現代に見られる形状のバラは人間が品種改良をして作り出したものです。

第2章 古代

バラと人類のかかわりの記録は紀元前、古代バビロニア、古代ギリシア、古代ローマ、古代エジプトに遡ります。

古代バビロニアは、メソポタミア地方(現在のイラク付近)のチグリス川、ユーフラテス川下流に栄えた王国です。
この頃の遺跡からバラが彫られたレリーフなどが発見されているそうです。
人々は既にバラを”栽培”していたとも言われています。
古代バビロニアといってもあまり馴染みはないと思うかもしれませんが、占星術や週・曜日の概念は古代バビロニアで生まれたといわれていますので、現代の私たちにも実は無関係ではありません。
科学と文化を築き上げた古代王国に、バラの花はふさわしいではありませんか。
この古代バビロニアをイメージして、オランダの会社で「バビロンシリーズ」と言われるバラが作出されています。この時代はバラにとってはひとつの”起原”なのです。

古代ギリシアでは、詩人ホメロスやサッフォーの詩にバラが登場します。
研究者の話によると、ホメロスは曙に空が染まる表現にバラを使っているそうです。空が赤く染まったのを見てバラを連想したのでしょうか?
サッフォーはバラを「花々の女王」と言っているそうです。そして香りを「恋の吐息」と表現したりしているそうです。詩の中のバラの象徴としての使われ方は現代とそう変わりがないように思われます。
クレタ文明が栄えたクレタ島に残る壁画は最古のバラの絵といわれています。
そして、ギリシア神話にはバラが数多く登場します。涙がバラになった、流した血で赤いバラができたなどなど・・・どれも現実的・科学的ではありませんが、神話の中でのバラの語られ方から古代ギリシアにおけるバラの重要度・ロマンチック度などを推し量ってみるのもまた楽しいものです。

古代ローマでは、バラのお風呂(ローマ人はお風呂好き)、ローズオイル、その他、飲んだり食べたり飾ったり・・・人々の生活に密着したバラの逸話が多く残されています。
どうやらバラを日常生活にフル活用していたように思われます。
特に皇帝ネロは、キリスト教徒を迫害したために暴君として有名になってしまっていますが、実はバラ三昧の日々を送るほどのバラ好きであったと伝えられています。

古代エジプトで特筆すべきは、やはり女王クレオパトラのバラ好きでしょう。
バラを浮かべた香水風呂に毎日入っていた、廊下にバラの花を敷き詰めてローマからやってきたアントニウスを迎えたなどという話は有名です。
クレオパトラはバラをアロマセラピーとして上手に活用していたようです。

第3章 中世

キリスト教では、白いバラは百合とともに聖母マリアを象徴するものとされました。祈りの際に使う”ロザリオ”の名もバラ(外国語でバラは主にrose、rosaといわれる)に由来するといわれています。
教会や修道院の中庭などでは薬草として利用するためにバラが栽培されました。殺菌作用があるということでローズウォーターを消毒液に利用していたそうです。

イギリスで1455年から30年続いたランカスター家とヨーク家の戦争は、両家がバラを紋章としていたためにバラ戦争と呼ばれました。この戦争はとても複雑な系図が絡んでくるために一口では説明しきれませんが、早い話有力家系同士の”権力闘争”です。
この戦争の後、長年の争いの終結を表して赤(ランカスター家)と白(ヨーク家)のバラを組み合わせたチューダーローズを紋章としたチューダー朝が始まります。エリザベス1世の時代です。
このバラはイングランドの国花として現代まで引き継がれています。

ヨーロッパでは、11世紀に始まった十字軍の遠征や、16世紀の大航海時代の到来により、アジアやパレスチナなどから数多くの野生種のバラが持ち込まれ、バラ界に大きな変化が訪れました。
ヨーロッパより東側の日本や中国やイランの辺りはヨーロッパには無い種類の野生種のバラの原産地です。
東洋のバラと西洋のバラを交配して品種改良が盛んに行われ、現在オールド・ローズと呼ばれる品種が次々と作り出されていきました。
このバラの育種の歴史に大きく貢献したのがフランス皇帝ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌです。
ジョセフィーヌは、パリ郊外のマルメゾン宮殿に数多くの植物学者や園芸家を集め、バラの研究を援助したため”バラのパトロン(経済的に援助する人。後援者。)”と呼ばれています。
そしてその援助を受けた中の一人、ポタニカルアートの天才画家ルドゥーテが描いたバラは、現代の私たちも書店などで気軽に目にすることができます。
ジョセフィーヌの生没は1763年-1814年。1791年のフランスのカタログには25品種しかなかったバラが、38年後の1829年には4,000種を超えていたといわれることからもジョセフィーヌのバラに対する熱意が窺われます。

品種改良の結果、それまでの主流であった一季咲きから、より長く花を楽しめる四季咲き大輪種のバラが誕生しました。
第1号は「ラ・フランス」、作出は1867年です。
この第1号の「ラ・フランス」より以前のバラを”オールド・ローズ”、以後のバラを”モダン・ローズ(現代バラ)”と呼びます。
こうして、今日のバラの基礎は築かれていきました。

第4章 現代

1998年、ミニチュアローズが宇宙飛行士の向井千秋さんと共にスペースシャトル・ディスカバリーに乗り込みました。
無重力状態が香りの生成にどう影響するかという実験のためです。
バラは宇宙飛行中、栽培装置の中でみごとに開花したということです。

バラには青い色を出すために多くの植物が利用しているデルフィニジンという色素が無く、見た目で青色系のバラはいくつか作出されてきましたが、青色色素に由来する青いバラは存在しませんでした。
サントリーはオーストラリアのフロリジン社と共に『青いバラ』を作る研究を進めています。

毎年毎年、各国の育種家やナーセリーにより様々な色や形や性質のバラの新品種が発表されています。

バラの歴史は、この先も、何処までも何処までも、世界にバラがある限り続きます。