ヨーランド ダラゴン

Yolande d’Aragon

5月27日 京成バラ園

別名

 

種類

HP ハイブリッド・パーペチュアル

作出・発表年

1843

作出者

Vibert, Jean-Pierre

作出国

フランス

受賞

 

親子関係

Belle de Trianonの実生

メモ

 

参考

ヨランド・ダラゴン(Yolande d’Aragon, 1384年8月11日-1442年11月14日)は、百年戦争期のフランスの女性。
アンジュー公・プロヴァンス伯兼ナポリ王ルイ2世・ダンジューの妻。
アラゴン王フアン1世の長女。
母はフランス貴族バル公ロベール1世の娘ヨランド。
1429年、ジャンヌ・ダルクがシャルル7世の宮廷を訪れ、イングランド軍に包囲されているオルレアンの救援を願い出た。
ヨランドは退廃した宮廷に一石を投じる切っ掛けとして考え、ジャンヌの旅支度やオルレアンへ向けての軍備を整えたのではないかとされている。
なお、幼少期の孫娘マルグリット・ダンジューを養育したことがあり、ヨランド死後の1445年、イングランドとフランスの休戦条件としてマルグリットは渡英、マーガレットと改めイングランド王ヘンリー6世と結婚した。
やがてマーガレットは王妃として政治手腕を発揮、薔薇戦争で主導的な役割を果たすことになる。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「ヨランド・ダラゴン」 最終更新 2022年6月30日 (木) 17:04 より抜粋)