記憶のカオス沼でジタバタする

先日、有休を取った日の話です。

友だちが参加している作品展を見に行きました。
会場で「明日はK子とG家が来るよ」と言われても、同じ学部の人ならまだぼんやりと記憶があるものの、違う学部の人は名前は聞いたことあるけど???・・な状態です。
最近は何年ぶりで会うやら何十年ぶりで会うやら、もはや計算できなくなりました。
そのふたりは数十年単位で会っていないので、たとえ顔を見ても「あ・・ども・・」になること必至で、彼女らと予定が合わなかったことに密かにホッとしました^^;
当日一緒に行くはずだった友だちが介護の都合でドタキャンになったためにひとりで行ったので、作品展の後で駄弁る予定がなくなりました。

せっかく有休なのだから時間を有意義に使おうと、美術館に行くことにしました。
みなとみらい線から副都心線を通って千代田線に乗って弥生美術館へ。
今「漫画家生活60周年記念 青池保子展 Contrail 航跡のかがやき」をやっています。
iPhoneを片手に乗り換えアプリと地図アプリを頼りに行きました。
弥生美術館の前に立った瞬間、あれ?ここ来たことがある?と気が付きました。
地図とにらめっこして、ここかな?ここかな?とドキドキしながらやっと辿り着いたのに、行ったことがあるところだったなんて。
たぶんグインを見に行ったのだと思います、ネットで調べたら2010年らしいので、15年前に・・。
青池保子さんの原画はたいへん素晴らしかったです。
歴史的建造物から王侯貴族の衣装まで、その美しいことといったら、驚きです。
眼福でした。
約4か月のロングランなので、オススメです。

弥生美術館の最寄り駅は地下鉄千代田線の根津駅です。
根津駅周辺に、実はずっと行きたいと思っていました。
母の実家があったところで、私は何度も行っているはずなのです。
でも子どもが親に連れて行ってもらったところというのは、私は特にぼーっと生きていたので、あまり鮮明な記憶になっていません。
どんなところだったかとても気になっていました。
住所はわかるので地図アプリを見ながら歩きました。
たぶんこの道を曲がる・・・うわっ!これ道じゃなくて路地だ!
もっと広い道路だと思っていました。
そういえば、以前に一度、子どもの頃に通った道を歩いてみたことがあります。
同級生に頼んで小学校までの私の通学路を教えてもらって歩いたのでした。
あの時も道の狭さに驚きました。
子どもの目には道や町並みの幅も高さも大きく見えてしまうのでしょう。
今回もあまりの狭さに、違う道?と疑いましたが、住所がどうしてもそこを指していたので、間違いではないと思います。
すべての家々が現代的に建て変わっていて、ただでさえ覚えていないのに、更にまったくわかりません。
ただ、住所と曲がり角から、なけなしの記憶の欠片を出してきて、こうかな?とはめてみて、はまったかどうかもわからないままに、探検を終えました。
これ以上思い出すことはできないし、考えてもわかるわけもありません。
自分が何を確認したかったのかもよくわかりません。
でもこれでひとつ終止符を打った・・何の終止符かも謎ですが・・ことになりました。

そしてまた乗り換えアプリに従って帰ってきました。
スマホがなかった時代はどうやって生きていたのだろうかと思い出してみました。
確か、定期入れの中に小さな路線図を入れていたのだったと思います。
ただ路線図だけを見て、何線に乗ってどこで乗り換えて・・と判断していたはずです。
それが現代より簡単にできたのは、今より路線が少なかったからでしょう。
副都心線なんてなかったので、明治神宮前で乗り換えるという選択肢はありませんでした。
あと、他線への乗り入れがほとんど無かったのも簡単だった一因でしょう。
乗り入れはヤバいです、ドコ行きの電車が来ますと言われても、乗り入れ先の地域に馴れていないとドコって何処?と思います。
更に途中で分岐なんかされたらもう駄目です。
そして急行とかナントカライナーなんかが来たらお手上げです。
昔はそういうものが無かったので、何線に乗り換えるには何駅とさえ覚えれば、一枚の紙の路線図でもなんとかなったのです。
世の中の情報量は頭の中にはもう入り切りません。
キロバイト、メガバイトならともかく、ギガバイト、テラバイトは無理です。
記憶もどんどん積み重なると、圧縮されたりするのでしょう。
そのまま削除されるものもあり、時に解凍されるものもあります。
今回はぱぁっと解凍されたものはありませんでした。
沼の底の欠片をいくつか拾って来た程度でしょうか。
見えているのに拾えない欠片もあったような気がしますが、まぁ、しょうがないです。

コメント

  1. もも より:

    スマホが出てきて、初めての町に行くハードルがもの凄く下がりましたね。
    昔は事前に調べてシミュレーションしたものでしたし、現地用に定期入れに路線図を入れていましたし、都内の路線が頭に入ってないと先輩に怒られました。怒られるので、覚えました。なんとなくですけど。
    根津は狭い路地の多い町のイメージです。子どもの頃に認識した空間の広さと大人になってから見た感覚はかけ離れていたりしますよね。
    欠片を拾うって文学的な表現で、ロズレさんらしいなと思いました。

    • ラ・ロズレ より:

      やっぱり路線図が最重要でしたよね。
      今はスマホを見て更にシミュレーションします^^;
      乗換駅でちゃんと乗り換えられるか、何分に着いて何分に出発というのをひたすら唱えて、ホームは?階段は?とキョロキョロしまくります。
      それでも乗り入れ先で間違えて先日は川越に遅刻しました。
      子どもの頃神奈川県から「東京に行く=根津に行く」だったので、私の中では東京というのはあの下町のイメージです。
      現在の我が家も東京ですが、なんか違う〜と思っています。
      ピースがいくつかあるだけで完成しないジグソーパズルが結構あるのだな、完成だけがゴールじゃないんだな、としみじみ実感しました。

  2. Keiko より:

    >自分が何を確認したかったのかもよくわかりません。
    でもこれでひとつ終止符を打った・・何の終止符かも謎ですが・・ことになりました。

    似た思いを狛江に行ったときに感じました。
    まだ他に、確認したいところがありますが、果たしてそれが叶うのか?

    はい、私もかつて地下鉄の路線図をしっかり携帯していましたよ。

    • ラ・ロズレ より:

      あ、狛江、そうか。
      でもきっと何かにはなっているはずですよね。
      東京の確認だったらお付き合いしますよ〜。
      マップアプリを片手に持っていながら迷うというのもやらかしますが、みんなで歩けば怖くない♪