[タイトル] 陰翳礼讃
[著者] 谷崎潤一郎
[形式] Kindle版
[金額] ¥0
[内容] 日本の主に家屋等の陰(影も含めて広義で明暗)の部分を文字通り礼賛する。
[感想]明治生まれの文豪が西洋と比べて日本の陰翳の部分を礼賛する、これが案外面白い。昭和の真ん中辺の人が読むと味わいがきっとわかる。
[雑記]近代文学が苦手で「細雪」など苦痛だったのにも関わらず、谷崎エッセイが意外と面白いことに気が付きつつある昨今です。
小説ではなくエッセイだから読みやすいのか、はたまた私が”大人”になったのか、どちらでしょうか。
本のタイトル通り、日本の陰翳をひたすら礼賛するエッセイで、その陰翳の筆頭が日本の家屋となっています。
つまり、今となっては昔の造りの家の話です。
谷崎さんは明治生まれですが昭和40年までご存命でしたので、その後半頃の生活の名残が私の幼少期の記憶の切れ端に少し引っかかっています。
電話(もちろん黒電話)が置かれていたのは階段の下か廊下の隅。
二階家の家の場合は確かに階段の下に隠すようにありがちでした。
平屋の場合は玄関から続く廊下でしょう、サザエさんの家のような感じです。
浴室がタイル張りになる近代化(陰翳がなくなる例)も、厠が廊下の向こうにある(陰翳そのもの)のも、私は自宅ではないところで知っています。
谷崎さんは厠は季節を感じるところだと言っています。
確かに窓(もしかしたら隙間?)があり、風も音も壁1枚隣にある場所でした。
文豪さんはそこで思索にふけったりもするのかもしれませんが、私は綺麗な白い壁で暖かい空間に進化してくれて嬉しかったです。
日本は洋式のものをすごいスピードでほとんどそのまま輸入してしまいましたが、西洋文明は西洋人のためにできたものなので、それまでの日本の家屋に全然合っていないと言っています。
畳に絨毯などは違和感が確かにがありますが、谷崎さんはもっと日常的で、ストーブや電灯に文句を言っているところが面白いです。
もしも東洋に東洋独自の科学文明が発達して西洋文明が入ってきていなかったら、という願望(?)を語っています。
しかし、西洋文明と対になる東洋文明になるためには、中国とアジア地域にも及ばないといけません。
谷崎さんはご存じないでしょうけれど、日本だけの文化程度のものは、後の世では「ガラパゴス」と呼ばれて終わりです。
障子も床の間も陰のために存在するもの。
蒔絵を明るい部屋で見ても良さがわからない。
漆器の椀の底の深さに比べて、白くて浅いスープ皿であることよ。
などなど、言いたい放題なのも微笑ましいです。
そうです、こういうエッセイは声を大にして「そうだ!そうだ!」と叫びながらではなく、「そう来るよね」とクスクスしながら読むのがちょうどいいかもしれないと思います。
お皿もトイレも電灯も街も明るすぎるほど明るくなった21世紀です。
でも今、スーパーの陳列棚やTVニュースの画面やオフィスの昼休みは照明が暗くなったりしています。
日本文化としての暗さではなくエネルギー不足の話ではありますが、明るいほうがよいこと、暗くてもよいことなどを考えるきっかけになるでしょうか。
どうかな。(期待薄・・・)
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ひとに借りたり無料のサイトにいったりして最近漫画ばかり読んでいました。
それはそれで面白いし、漫画から知ることもたくさんあります。
でもたまには文学も・・と思った時にある青空文庫「0円」の有り難さ。
コメント
細雪は文学ではなきエッセイなのですね?
関西の富裕な家族の日常をそのままに表した作品。
特に印象に残っているのは、四姉妹の誰だったかが、
着物を着ていて帯を結んだ時に、(良質な)帯がキュッキュと鳴るというような
細かな表現があって、その時代その生活の程度ををまざまざと感じさせられたものです。
わぁ〜ちゃんと読んだのですね、すごいなぁ。
読まなければと読んだものの、終わった瞬間DELETE処理が走ったようで、内容はサッパリです^^;
なんでなんだろう???
面白いものを読まれたんですね。さすがです。
厠に四季を感じるというくだりに、うっすら記憶が蘇りました。
うちは水洗でしたが、祖父の家は汲み取り式で。廊下の突き当たりにあったので、冬に向けて寒さを感じていったでしょうし、春は寒さが緩んでいくのを感じていたでしょう。窓の前に金木犀を植えるのがセオリーでしたから、秋はその香りを楽しんだことだろうと思います。
私の脳内も、細雪はdelete済みです。
インスタでどなたかが、谷崎はこれこれだと言っているが・・のようなことを書いていたので、何書いてんだ?とAmazonに行ったら0円だった、、、という大したことのない理由で読みました^^;
興味の持てないことって本当にとことん記憶に残りませんね。
最近は狭く深くであっても知らないより良いじゃないかと、オタク礼賛の気分です。