先日「高温傾向でバラに異変って本当に?」というテーマにコメントを書いていました。
気候変動でバラの開花時期に異変が起きているのではないかという意見の是非についてです。
春のバラ、秋のバラ・・・と考えて書きながらなんだか不安になってきたのですが・・・
今現在存在するバラの多くに「四季咲き」性があります。
バラは四季咲きである必要があったのでしょうか。
四季咲きとは1年に何度も咲くことです。
バラは、一季咲き、返り咲きなど多種ありますが、四季咲きも多くを占めています。
バラ科の樹木はサクラ、ウメ、モモなどほとんど一季咲きです。
バラ科に限らず花ってわりとそういうものです、チューリップだってヒマワリだって紫陽花だってそう何度も咲きはしません。
となると、です。
バラがものすごく特殊に思えてきます。
バラの原種の多くは一季咲きでした。
バラがもともと自生していたのは北半球のヨーロッパ、中東、中国、日本、北米の一部あたりのラインだということです。
その殆どが一季咲きでした。
唯一中国のバラだけが四季咲きだったということです。
ヨーロッパの人がその中国の四季咲きバラを知って、1年に何回も咲くなんていいなぁ♪そういうの欲しいなぁ♪とせっせと品種改良した結果が現在のバラたちです。
バラは西洋の花というイメージは広くあるようだし、かの新渡戸稲造さんでさえそのようなことを言っていました。
私はそれをずっと品種改良のこととして解釈していました。
アジアのバラの四季咲き性や房咲き性を活用して新しいバラをどんどん作っていったのはヨーロッパです。
だから、日本は桜、西洋はバラというのはそういう意味だと思ったのです。
でも、先日四季咲きについて考えていて、ふと思いました。
日本人のDNAには一季咲きが入ってやしないか?
梅のお花見も桜のお花見も1年に1度のことです。
特に桜(主に染井吉野など)はぱぁ~っと散ったら次は1年後まで見られませんし、毎年桜を見ることが生きる指標にさえなっています。
そこにバラがやって来て、たとえ日本や中国の品種を元に改良されたバラであったとしてもそれが四季咲きであったとしたら、そここそが「非日本」だったのではないでしょうか?
いくら私が口を酸っぱくしても、秋にもバラが咲くんですかぁ?などと言う人が絶えないのは、これはもしやそういうことでは???
コメント
日本の美を一言で言えば「潔さの美」ですからね。
「武士道]はいろんなことを考えさせてくれますね。^^
そういえば新渡戸さんのタイトルは武士道でした。
武士は1年に何度も蘇ってはいけないのでしょうか、なんてね^^;;;
日本人の血には一期一会も入っていますし、あまり四季咲きに有利ではないなと、ますます思えてきました。
新渡戸さんは繰り返し咲くことよりも散り際の醜さを語っておられたと思います。
バラにもよるのですが、黒くなってもまだくっついてるのがたまにありますからね。
年に何度咲いてもさっと散ってくれれば彼もバラを認めたと思いますよ。(笑)
そうですね、やっぱり椿や桜の潔さは格別ですよね。
我が家のミニバラはドライフラワーになってもくっついていて粘り強さではピカイチなのですが^^;
自生しているノイバラも春咲きですもんね。
日本人は、一年のうちに花が咲くのは一度限りと刷り込まれているのでしょう。
秋に咲くバラは、季節はずれに咲いたのかな?くらいかもしれませんね。
秋のバラ祭りがイマイチ賑わわないのは、そのせいかな?
毎年秋のバラ祭りをやっているのに、なんだか一向に浸透しない気がして変だなぁと思っているのです。
これは血のせい、DNAのせい?
桜は「バラ科」なのに、本家のバラが桜に勝てないのはちょっと悔しいです^^;
あれからつらつら考えてみたのですが、やはり花は一季咲きが基本だと刷り込まれているのかもしれませんねー。
藤も金木犀も、条件が整えば2回めの開花があるのに、異常呼ばわりされるのを何度聞いたことか。
一方で、バラに四季咲きを強く求めるのも日本人の特徴だそうで。以前、バラの某世界的有名人の苦言として紹介されていました。
決めつけたり、欲望が炸裂したり。
そのままを受け入れることも意識したほうがいいのかもしれないなーと思いました。
パン祭りも春と秋の2回あるんだから、バラまつりも2回あっても不思議はないのにねぇ。
パン祭り
バラ祭り
似てる〜〜〜(笑)
バラに四季咲きを強く求めるのも日本人の特徴、ですか。
ふぅむ、ということはやはりバラはヨソの花だという心理でしょうか。
我が国の花は一季咲きばかりなんですよー、羨ましいですねー、、、な感じとか?
ちがうかな。もう少し考えてみねばねりませぬ。