この時期は法事が多い時期なのです。
それでなんだかんだあるわけなのですが・・・
まずは、
余ったバラ土はやはりK家に持ち込みました。
広大なお庭に半袋の土の小さく見えることと言ったら!
気軽に引き取ってもらえて助かりました。
猫たちは黒服の時には近寄れません。
ちょっと家に寄るだけだったし、全然遊べなかったのが残念です。
コロコロも用意されていましたが(←毛だらけは想定内!)使いませんでした。
人が集まると昔話も出るものです。
たまたまあった写真を見て、
私ったら昔は可愛かったじゃない?
と思いました。
バカですねー(笑)
でも、私はある時期を堺に人相が変わったと思っています。
昔の写真を見て、これ誰?と聞かれるくらいに今は違います。
写真を確認するまでもなく自覚しています。
噛み合わせが悪くなったのもその頃からです。
こぼれたミルクは泣いても元には戻らない。
今年は良いお天気で助かりました。
数年前のこの時期は雪が降って大変だったことがありました。
今年はダウンも要らず、それどころかコートも要らず、黒服だけでうろうろできる気温でした。
おかげで花粉は飛びまくっていたようでしたが、話題の中心がコロナなために花粉症がとても軽視(笑)される印象でした。
花粉症患者としてはべつに同情して欲しいわけでもありませんが、花粉、あぁそうね、それでコロナがね・・・という程度の扱いになったなというのは皆感じていると思います^^;
出かけると、いろいろなところで手を洗う機会があります。
お店、様々な施設、サービスエリア、などなど。
今どきは手を蛇口の下にかざすと自動的に水が出るものも多いですが、自分で蛇口をひねるタイプのものもありました。
手を洗ってから蛇口をひねって水を止めるのはウィルス的にはどうなんだろう、とか、消毒ポンプも手でプシュッと押すのはどうなんだろう、とか、様々な疑問がわきました。
だから何だと言うわけではありません。
ただ、いろいろ、いろいろと、難しいなと思ったのでした。
コメント
お疲れ様でした。
コロコロのくだりはちょっと癒されました。
いろいろ思うことだらけで疲れちゃう日々ですからね。
そう言えば、外では蛇口のないところが増えました。こういう時には自動であることがありがたいです。
近所の病院は蛇口でした。職員さんはペーパータオル越しに蛇口を回していましたね。
近々行くので、気を付けます。
ロズレさんに言われないと、頭にありませんでした。感謝。
思ったのですが、キャッシュレスでコイン・紙幣に触れないのも何か効果が有るのでしょうか無いのでしょうか。
猫と遊びバラと戯れる幸せを再認識です。
バラが咲いたの咲かないのと言えることは幸せなことなのですよね。
自分のことは二の次にできる余裕があるということですから。
右手にジョウロ、左手にコロコロ、これ最強!
>でも、私はある時期を堺に人相が変わったと思っています。
昔の写真を見て、これ誰?と聞かれるくらいに今は違います。
写真を確認するまでもなく自覚しています。
噛み合わせが悪くなったのもその頃からです。
いつかそのあたりの詳細を伺いたいのですが、
もちろん言いたくないことは言わなくて良いのです。(笑)
法事に関しては日本の法事は情緒があると思います。
葬儀の経験差はイタリアに軍配があがりますが、
その後の法事はこちらのはあまりにも素っ気なさ過ぎます。
前の会社が傾いてひっくり返ったあたりです。
お金が無くてコンビニのコーヒーも飲めず電車賃がなく出かけられず同窓会も何を言われても断り着るものも化粧品もシャンプーもあらゆるものを断った頃です。
人間関係ドロドロとかいうのなら自分でも気をつけたと思いますがそういう種類ではなかったので自覚が無く油断し、後になって気がついた時には既に遅し、という次第です。
そこに加齢までプラスされてもうどうにもこうにもです。
以後なるべく写真には入らないようにしています^^;
K家のお坊さんはとてもいい声なのです。
張りがあってよく響いて、聖歌とは対照的でしょうけれど、聞いているとなんとなく落ち着きます(^^)
自分の意志では結構就職先を変わりましたが、
勤め先が傾いてしまうというのはまた違った経験でしょうね。
とにかく、今はすっかり写真に収まっても大丈夫です!
今の加藤さんが好きです。
ちなみに経験差は 敬虔さ と書きたかったのですが、ちゃんと理解して頂けたようでしたね。(汗)
そりゃぁもう、Keikoさんの変換理解は私結構高得点だと思いますよ(笑)
自分の意志とかではなかったのでちょっと危機意識が薄かったのですよね。
いや、覆水盆にかえっていませんから、全然大丈夫ではないのですよ^^;