花競べ

[タイトル] 花競べ 向嶋なずな屋繁盛記
[著者] 朝井まかて
[形式] Kindle版
[金額] ¥374
[内容] 江戸の「花師」を中心とする物語で、繁盛記というタイトル通り。

[感想]江戸の人情物みたいな物語は本でもTVドラマでもたくさんあります。
そのあたりはわりと定番、良く言えばその期待を裏切らない安心感があります。

[雑記]アマゾンで最大50%オフのセールで購入した2冊目です。
なぜこの本が欲しい物リストに入っていたかというと、花師の物語だったからです。
花師、つまり江戸時代の育種家です。
Kindleの引用機能を使って引用したものを貼ってみます。
今回は引用特集にしてみます。

新次は育種の腕を磨いた花師である。
育種とは樹木や草花の栽培のことで、種から育てる実生はもちろん、挿し芽や挿し木、接ぎ木で数を増やしたり、性質を強くする品種改良や様々な種類を交配して新種の作出まで行なう。  
徳川の時代に入って本草学が盛んになったことから江戸の植木職人の育種技術は飛躍的に高まり、それを専業とする者が分かれて花師を名乗るようになった。
梅や椿、菖蒲などは、後世に残る品種のほとんどがこの時代に誕生し尽くしている。

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

こういう文を見るとちょっと楽しい気持ちになるのは、日頃バラを見ているお陰です。

一つひとつの鉢に「お手入れ指南」を付けたのだ。
「水やりは土が乾いてから、鉢穴から流れて出るほどたっぷりと」「咲き終わったあとの花柄や黄葉は、こまめに摘んで」などの基本から、花の種類によって異なる手入れの方法を新次に教わって一枚の紙に綴った。  
新次が言うには、初心者はたいてい同じ失敗を繰り返す。
まず、水をやり過ぎるのだ。
樹木も草花も水切れならその後たっぷりと水をやれば葉を少々落とすことがあっても大抵は息を吹き返すが、水のやり過ぎは根を腐らせてしまう。
そうなるともう手の施しようがない。
土の中は水が少し足りないくらいで、ちょうどいい。
その水を求めて植物は根を張り、強くなるのだ。

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

ロザリアン、笑います(笑)
江戸時代から令和に至るまで性懲りもなく『同じ失敗を繰り返す』!!
可笑しくて笑っていて、朝の電車で一駅乗り越したのだったと思います。

近頃、新種といって売り出されるものの大抵は色や形が珍らかで、なるほど人の目を驚かせはしますが、この匙加減が難しい。
手を入れすぎて本来の風情まで殺いでおるのではないかと、私は素人ながら腑に落ちぬものを感じておったのです。

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

ロザリアン、頷きます。
いくつかのバラを思い浮かべたりします。
「殺いで」で一瞬脳が止まりました。「殺ぐ:そぐ。削ぐ」ですね。

次から次へと新しいもの、目先の変わったものが売り出されていた。
中には、花弁を極端に大きく華やかにしたために蕊を失った花もある。  
(中略)
交配を重ねて生み出された花は性質が弱くなるきらいがあり、病害虫に弱く、その時限りの徒花も多かった。

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

ロザリアン、またまた頷きます。
オールドローズやハイブリッド・ティーなど、とにかく交配し倒しました。
現代になってやっとそこに気がついてきたようで、ADRとかロサオリエンティスとか、方向性が見えてきました。
蕊はしべです。

育種というのは、つまるところ土である。
(中略)
とくに鉢に土を入れて育てる場合、はじめの土が肝心である。
瘦せ土に植えた苗は、あとでいかに手入れをしても生長が芳しくなかった。

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

ロザリアン、反省します。
土を購入するベランダーとしては、来シーズンの土はもう少し考えて吟味しようと思っています。

「……母上、それは庚申薔薇ではありませんね」  
「これはな、らうざだ」
「らうざ……」
「庚申薔薇は凡庸だ。御殿女中のように仰々しいだけで、品がない。あれでは椿に位負けするのも無理はない。可愛いだけの野茨もつまらぬわ。風が吹いたくらいでああも易々と散るようでは、誰に愛でられる暇もないではないか。だが、このらうざを見よ。花びらが十重二十重に巻いて、あだやおろそかには花芯を見せぬ。この美しさにして棘は鋭く、並みの者には気安く手折ることすら許さぬ。誰にもおもねらず、天に向かって咲き誇る」

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

ロザリアン、目を丸くします。
コウシンバラは御殿女中!椿に位負け!
いや、まぁ、否定はしな(ごほごほっ)
可愛いだけのノイバラ。
可愛いと言ってもらえているなら合格かも?^^;
さて、花びらが十重二十重で花芯が見えないバラとは何でしょうか。
ほかにも記述があります。

・甘い匂いが漂ってきて足が止まった。
・梔子に似ているが麝香らしき匂いも含んでいる。  
・乙女椿に似たその花は、緑を帯びた白である。
・茎に鋭い棘があるの
・この時季に咲くとは長春か。違う、これほど多くの花弁を巻いた茨は見たことがない。

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

江戸時代に輸入できて、ぎうぎうで強香の白バラ。
作者が特定のバラをイメージして書いたのかどうか分かりませんが、少なくとも何かを参考にはしたと思うので、候補にいくつかあったかもしれません。
Frau Karl Druschki:不二
Kaiserin Auguste Viktoria:敷島
Mrs Herbert Stevens:末広
Niphetos:白黄
などなど、明治〜昭和初期まで使われた和名のついた白バラはいくつもあります。
香りが分かりません。
麝香だからダマスク香、何が当てはまるのかしらん。

あらら。
勝手にバラ物語に変えてしまいました^^;
バラが出てくるのはこの箇所だけです。

ちょっとほぉぉと思った箇所。

武家が花を愛でるようになった始まりは、命への懐かしみである。
出陣で城を出る前に鎧具足をつけた姿で花を生けた、それが立華の始まりなのだ。
死を覚悟した時に、山河に生かされてきた自らの姿を写したのであろうの。
その儀式のために、風趣に富む枝ぶりの草木を探して揃えるようになったのが植木商の始まりである。

—『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記 (講談社文庫)』朝井まかて著

フラワーアレンジメントとは確実に違います。
日本のは華道ですから。
柔道・剣道と同じ「道」ですから。

というわけで、物語というよりは、部分部分で楽しんだ一冊でした。

コメント

  1. もも より:

    命への懐かしみ…ですか。現代には引き継がれていないような。
    でも、そんなことを思いながら読むのも面白そうです。
    バラ物語として読める部分はニヤニヤしました。^^

    • ラ・ロズレ より:

      ひととは違った読み方ができる、という、これは自慢です(笑)
      命の違いは寿命の違いでもあると思います。
      100年は長すぎる、と私は思っています。
      バラはどうなのでしょう。

  2. Keiko より:

    江戸時代と言っても長いですが、そもそもその時代に、
    ごく一般の庶民が、園芸を楽しんでいたのは日本以外にないと思います。
    ヨーロッパの国々では王侯貴族のみが、プラス イタリアでは修道院が、
    それらしいことをしていたように思います。

    つまり、ガーデニングに関しても我々はパイオニアなのですね。^^

    • ラ・ロズレ より:

      そうですよね、プラントハンターたちが驚いたのでしたよね。
      修道院で修道士さんがローズヒップなど採取している風景を想像するのも私は好きですが(^^)
      人の心根を作るのはその土地の自然である、とも書いてありました。
      私たちは日本の四季でできているのでしょうね(^^)

    • もも より:

      おお、納得です!
      カトリック修道院では今でも、無言で行う「祈りと労働」の中に栽培もあるように思います。
      玄関先で鉢植えを楽しみながら育てている庶民。江戸時代の庶民は世界的に珍しい存在だったのですね。
      日本人たるもの、もっと園芸を楽しまなくちゃという気分になりました!

      • ラ・ロズレ より:

        東京の主に23区の住宅街は、玄関先はもちろん本来は都の持ち物であろう歩道にまで、ずらりと植木鉢が並びます。
        東京都民は江戸庶民のDNAを失っていないと思います。
        ガーデニングとは少し違うのですよね、隙間があったらとにかく植木鉢を置こうみたいなこの根性、面白いです。
        写真を撮りたいところはたくさんあるのですが、個人宅前ではちょっとやりにくくて、いつも通り過ぎてしまいます。